画家の特徴と絵画の楽しみ方TOP⇒サルバドール・ダリ

サルバドール・ダリの生涯

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サルバドール・ダリはシュールレアリスムの代表的な画家です。作品もさることながら、特徴的な表情や自己演出、奇行も彼を有名にした要素になっています。偉大な芸術家であると共に、20世紀に大きな足跡を残したパフォーマーでもあるのです。

1904年にダリはスペインのフィゲラスという町で生まれます。観光地として現在も人気のカタルーニャ地方にある街で、裕福な家庭で生まれました。なお、彼には幼くして亡くなった兄がいたのですが、サルバドールという同じ名前を付けられています。このことが、心理や人格の形成に大きな影響を及ぼしていると考えられています。兄の代わりという意識が芽生えてしまっても仕方のない境遇と言えるでしょう。

画家としては早くから才能を発揮し、1925年には初の個展を開いています。1927年にはパリへ行き、パブロ・ピカソをはじめとした芸術家と知り合うことになります。

1929年には後に妻となるガラ・エリュアールとダリが出会います。彼女は、この時には詩人のポール・エリュアールの妻であったのですが、彼らは強く惹かれあうことになります。1932年には、2人は結婚します。

ガラとダリの間にあった信頼関係は絶大なものであり、その後も深い絆で結ばれます。ガラは作品の中にも登場することがありました。1982年にガラが亡くなった時には、ダリは人生の舵を失ったと激しく落ち込んでいます。

1929年には、正式にシュールレアリスト・グループに参加するものの、1938年には除名されています。ただし、これは画家としての能力や絵の質の問題ではなく、思想の問題に基づくトラブルが原因とされています。

第二次世界大戦の際にはアメリカに住んでいましたが、1948年にはスペインに帰国しています。1982年にガラが亡くなり、1983年以降は絵を描かなくなっています。そして、1989年、故郷のフィゲラスにあるダリ劇場美術館の隣、ガラテアの搭にて心不全で死去しています。

記憶の固執(柔らかい時計)

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20世紀の絵画の中でも名作とされているのが、記憶の固執(柔らかい時計)です。1931年に描かれた作品で、ニューヨーク近代美術館に展示されています。ダリの記憶の固執(柔らかい時計)のモチーフとなったのは、溶けるカマンベールチーズであったとされています。

後に、「柔らかい時計は生物学的に言えばダリ的なDNAの巨大な分子である。それらは永続性ゆえにマゾ的であり、舌平目の肉のように機械的な時間という鮫に飲みこまれる運命である」と語っているように、彼自身にとっても重要な絵となっています。

1952年から1954年にかけて製作された「記憶の固執の崩壊」では、改めて柔らかい時計が描かれています。この頃には、原子核の神秘をモチーフとするようになっています。この作品では、アインシュタインの相対性理論による時空のゆがみの概念も影響されているとされています。

ダリ劇場美術館

出生地であり、生涯を閉じた土地でもあるスペインのフィゲラスにあるのがダリ劇場美術館で、多くの作品が展示されています。名画を鑑賞することができるだけではなく、建物全体に工夫が施されており、美術館そのものが一つの作品のようになっています。

また、ダリがデザインしたジュエリーを展示する美術館も併設されており、様々な角度から楽しむことができます。

ダリの奇行の本質

変わった風貌や言動によって名前を知られているダリですが、根本から変わり者だったというわけではないようです。事実、親しい友人の前では礼儀正しい常識人で、他人に気遣いができる一面を見せていたという逸話も残っています。

結局のところ、奇行や変人ぶりも芸術家としてのパフォーマンスの一つだったのではないかと推測できます。絵画や彫刻といった作品だけではなく、自らの人生も活用して表現を行っていたのではないでしょうか。そう考えると、卓越した自己演出の能力を持っていた画家であることになります。

自他共に認める天才の卓越された才能は、絵画のほかにも彫刻やジュエリーのデザインといった様々な分野にも及んでいます。ルイス・ブニュエルと共同で映画製作を行い、アンダルシアの犬を完成させたこともあります。こうした多才な芸術家が注目を集める自らの人生を脚色して披露していたとしても、不思議はないでしょう。

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